20160821

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2012年の暑い夏、八王子で織ってもらった数メートルの水色の生地から、rikolektは始まった。

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rikolektは、「re-collect : 記憶の再集」ということばから、文字の形や語感を考えて名付けた。
記憶の再集。
だれにでも、朝日を見てこころがすっきりとしたり、夕日を見てさみしさを感じた経験はあると思う。
夏の匂いを感じる夕方を歩いたことがあると思う。

何かを見て美しいと思う、さみしさを感じる。
めまぐるしい毎日のなかで忘れてしまいそうな、自然の営みや
季節のささやかな変化に一喜一憂しながら暮らすことは、忙しいこころとからだに必要なゆとり。

そんなゆとりのことを思いながら、日々のかけらを忘れないように拾い集めて、生地をつくり、洋服を作っている。

いらないものや情報に、がんじがらめになったこころを解くものを
早すぎて見えない世界とは、少し距離を置いたところから。

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rikolektと名を掲げて洋服を作ることは、一度、空っぽにした自分に
本当に必要なものをもう一度集める旅のような、そんな感じがしている。
暮らしの上にものづくりがあって、ものづくりの上に暮らしが成り立っている。

もちろん誰にでも気に入ってもらえて、着てもらえるものではない。
そういうものを作る役割の優れたひとは、他にいる。
rikolektの役割は、あなたのこころに届けられるなにかを、洋服に込めること。

それは着心地かもしれないし、質感かもしれない。
ことばかもしれないし、匂いかもしれない。
美しさかもしれないし、さみしさかもしれない。



20160726

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創作をすることは世界との対話、自分のこころとの対話。
自分と世界の接点は、今どこにあって、心はどちらへ向かっているか。
その時、風はどちらへ吹いているか。
回りで起きている出来事を見つめて、いい気がある方向へ風を吹かせること。
物事に内包される良さは、どちらを向いているのかを考える。

美しいのは花か、それともじぶんのこころか。


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雨が降ったり、突然暑くなったりする日々。
近くのちいさな神社で、ちいさな盆踊り大会があった。

今感じているこの今をまるごと。
こころの在処、時間の流れ、太陽、雲の切れ目から射す太陽、雨と、猫。

夏が来ないまま、終わりそうな七月。

20160531

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必要なものは、実はそんなに多くはないんじゃないかと、最近はそんなことを思う。
ぼくらの生活を心地よく、ストレスを感じさせないように、毎日誰かが世界を更新し続けている。


都会から、ほんの少しだけ離れたところにある、古い一軒家に引っ越した。
アトリエは2階に構えた。家の前は竹林になっている。近くに大きな畑がある。
田舎で暮らしていた時の環境には及ばないけれど、感じたことのある、穏やかな時間が流れている気がする。
更新されないままの、何かが残っている。

花を育てることも、ご飯をつくることも、たまに街へ出ることも
今まで以上に、暮らしと仕事が一つの時間の上にあって、それが大きな輪になればいいな。

これから先の、あたらしい時間のために、ここで何を生み出せるんだろう。
ぼくらはもう少し、あたらしい時間と向き合わなきゃならない。











20160126

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日々変わる風のかたちや、足元に生える草草、日の時間や、頭の上を通り過ぎる鳥に、季節の変化を感じられる。

きっとまだ、大丈夫。

20160115

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ここ最近は、頭の中からイメージを引っ張り出す仕事に追われ続けている。
何も浮かばないまま、1時間、12時間、2日間と過ぎていき、気付けばご飯を3回食べて、部屋をふらふらしたり、ラジオ体操をしたり、猫にやつあたりをしたりしているだけで1日が終わる。

いいことが思い浮かぶときって、実は身体と心が何にも向かっていない、限りなく0に近い状態のときにふと訪れるような気がする。
はたまた、他のことに集中しているときに、どこからか紛れ込んできたりするときもある。
夢に出てきた色やかたちのことがずっと気になるんだけど、目が覚めた途端に忘れてしまうものだったりする。

おやすみなさい。


20160112

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「感情が形を持つには、映画なら映画の他にもうひとつ、自分以外の何か対象が必要なのである。感情はその外部との出会いや衝突によって生まれる。ある風景に出会い、美しいと思う。しかし、では美しさというのは僕の側にあったのか?それとも風景の側にあったのか?私という存在を中心に世界を考えるか、世界を中心に考え私をその一部だと捉えるかによってそれは180度異なる。僕が作品を生んでいるのではない。作品も感情もあらかじめ世界に内包されていて、僕はそれを拾い集めて手のひらですくい、「ほら」と見せているに過ぎない。作品は世界との対話(コミュニケーション)である。この世界観を謙虚で豊かだと考えるか?作家としての弱さと考えるか。この対立は根源的だ。」

是枝裕和さんの著書「歩くような速さで」から、いいなと思った文を抜粋しました。
自分がものをつくる上で、共感をするところがいくつかあって。

美しい景色を見つけた日のことや、季節の変わり目を感じた日のことを忘れないでいたい。
過不足なく、誰にでも世界は美しく豊かであると、ことばではない何かを通じて、ぼくらに伝えてくれている。
その時、自分はどんなかたちで返事をすることが出来るだろうか。

生活も仕事も、自分が主体となって回っている営みはなく、あるひとつの世界が発した声に対して、どう私は返事をしたか、声色や声質、表情や気持ち、あらゆる要因が複雑に絡み合って出来た結び目のようなものなのではないかなあと思う。

世界との対話。

20160108

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あたらしい年になるとあたらしいことを始めたくなる。
今年から自分の環境がすこしかわった、もうすこしかわる気もしている。
流れていく時間に流されてしまわないように、と何もない日々をしたためる試み。
ていねいに生きてみようという決意表明。夜更けに思いついただけのこと。